2012年05月19日
日米友好促進・感謝festival in 沖縄市民会館
【記念式典】
日時 平成24年5月19日 (土曜日)
午後12時30分開場、午後1時半開始~午後3時半終了
会場 沖縄県沖縄市民会館 大ホール(1,500名収容)
http://okinawa-nichibeiyuko.info/nbsf001.html
※運営代表者のご挨拶(転載)※
沖縄繁栄の基礎を築いた米国へ感謝する式典
皆さま驚かれるかも知れませんが、戦前、沖縄の県民所得は約74円、全国平均所得の40%でした。ところが沖縄が日本に復帰した1972年、県民所得は907ドル、全国平均所得の60%まで上昇しておりました。これは米国の施政による成果が大でした。
米国民政府は沖縄に大学、看護学校を創り、沖縄住民に高等教育を実施しました。その結果、民度は向上し、感染症は撲滅され、社会が活性化したのです。
我々は沖縄から世界に向けて、この米国の功績を顕彰し、米国国民に対し感謝の意を表明したいと思っております。
1945年4月1日より1972年5月15日までの27年間、沖縄は米国の施政権下にありました。最近、この時代は暗黒の時代であったかのように描かれていますが、当時住民は、新たな時代「アメリカ世」が到来したとして、「琉米親善」のフレーズを多用していました。
沖縄の戦前人口動態はピークで59万7902人(1937年)、県民寿命は47歳でした。この島の土地はやせており、また衛生環境が劣悪で、マラリアをはじめ様々な感染症が蔓延しておりました。このため、それ以上の人口は生きられなかったのであります。
また社会的にも男尊女卑の陋習(ろうしゅう)が強く、女性の人権は無視されておりました。
終戦直後、沖縄は崩壊の危機に陥りました。沖縄戦によって衛生環境はさらに悪化し、これに外地からの引き揚げ者が加わり、終戦から僅か4年で人口は69万8827人に達しました。戦前ピークより10万人以上も増加したのです。
戦前、県の財政は日本政府からの援助に頼っていましたが、その本土も戦争で焦土と化しており、沖縄を援助するほどの国力はもはやありませんでした。
米国はそこで当パンフに見られますように沖縄返還までに総計10億ドル以上の援助を行いました。さらに沖縄女性の潜在能力に着目し、参政権を本土より半年早く与え、特別軍布告第16号で女性の人身売買を禁じました。あまつさえ、実力ある女性には奨学資金を与えて進学、留学を支援したのです。
沖縄はこの甲斐あって、日本に復帰したとき、種々の感染症は撲滅されており、金融機関等の経済フレームも確立され、人口は95万人、寿命は79歳という全国最長寿を達成したのであります。
現在、県民寿命は26位に転落しておりますが、医療疾病状況こそはその時代の行政のレベルが反映されるのです。
今こそ米軍統治時代の側面を総括し、また種々の感染症に立ち向かって、その撲滅に尽くされました沖縄のナース、公衆衛生看護婦の皆さまに感謝する式典を合せて挙行すべきと私どもは思っております。
どうか同式典へ一人でも多くの方々がご参加されますようお願い申し上げます。
日時 平成24年5月19日 (土曜日)
午後12時30分開場、午後1時半開始~午後3時半終了
会場 沖縄県沖縄市民会館 大ホール(1,500名収容)
http://okinawa-nichibeiyuko.info/nbsf001.html
※運営代表者のご挨拶(転載)※
沖縄繁栄の基礎を築いた米国へ感謝する式典
皆さま驚かれるかも知れませんが、戦前、沖縄の県民所得は約74円、全国平均所得の40%でした。ところが沖縄が日本に復帰した1972年、県民所得は907ドル、全国平均所得の60%まで上昇しておりました。これは米国の施政による成果が大でした。
米国民政府は沖縄に大学、看護学校を創り、沖縄住民に高等教育を実施しました。その結果、民度は向上し、感染症は撲滅され、社会が活性化したのです。
我々は沖縄から世界に向けて、この米国の功績を顕彰し、米国国民に対し感謝の意を表明したいと思っております。
1945年4月1日より1972年5月15日までの27年間、沖縄は米国の施政権下にありました。最近、この時代は暗黒の時代であったかのように描かれていますが、当時住民は、新たな時代「アメリカ世」が到来したとして、「琉米親善」のフレーズを多用していました。
沖縄の戦前人口動態はピークで59万7902人(1937年)、県民寿命は47歳でした。この島の土地はやせており、また衛生環境が劣悪で、マラリアをはじめ様々な感染症が蔓延しておりました。このため、それ以上の人口は生きられなかったのであります。
また社会的にも男尊女卑の陋習(ろうしゅう)が強く、女性の人権は無視されておりました。
終戦直後、沖縄は崩壊の危機に陥りました。沖縄戦によって衛生環境はさらに悪化し、これに外地からの引き揚げ者が加わり、終戦から僅か4年で人口は69万8827人に達しました。戦前ピークより10万人以上も増加したのです。
戦前、県の財政は日本政府からの援助に頼っていましたが、その本土も戦争で焦土と化しており、沖縄を援助するほどの国力はもはやありませんでした。
米国はそこで当パンフに見られますように沖縄返還までに総計10億ドル以上の援助を行いました。さらに沖縄女性の潜在能力に着目し、参政権を本土より半年早く与え、特別軍布告第16号で女性の人身売買を禁じました。あまつさえ、実力ある女性には奨学資金を与えて進学、留学を支援したのです。
沖縄はこの甲斐あって、日本に復帰したとき、種々の感染症は撲滅されており、金融機関等の経済フレームも確立され、人口は95万人、寿命は79歳という全国最長寿を達成したのであります。
現在、県民寿命は26位に転落しておりますが、医療疾病状況こそはその時代の行政のレベルが反映されるのです。
今こそ米軍統治時代の側面を総括し、また種々の感染症に立ち向かって、その撲滅に尽くされました沖縄のナース、公衆衛生看護婦の皆さまに感謝する式典を合せて挙行すべきと私どもは思っております。
どうか同式典へ一人でも多くの方々がご参加されますようお願い申し上げます。
経典『愛、無限』より、抜粋
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Posted by ゆかりん(近藤由香里) at 07:07│Comments(0)
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