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ゆかりん(近藤由香里)
ゆかりん(近藤由香里)
※画像データは、幸福の科学総裁・幸福実現党名誉総裁:大川隆法氏※

幸福の科学 白金門前支部(青年部)

幸福実現党 党員(スタッフ)

本名:近藤由香里=【雅号:皇 悠理】
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2013年02月27日

【伊藤館長ブログ】王陽明と中江藤樹~変革の実践哲学~

心に花を咲かせよう 2013/2/20(水)

http://www.seichi-shikoku-irh.jp/blog/?p=217


〈66〉 陽明学の日本的影響について! 王陽明と中江藤樹の魂のリレー


前回のブログで、ウイクリフフス佐久間象山吉田松陰の関係を書いてきましたが、佐久間象山という人は、知れば知るほど、時代を飛び越えた目を持っていた人だったと驚かされます。

たとえば、佐久間象山は、吉田松陰の密航事件に連座した松代藩での蟄居中にも、仏典からヒントを得て、幕府の海軍力の整備がアメリカに追いつかないのなら、空軍の創設を考えたほうがいいと考え、熱気球と翼を推進力にして、空から爆撃できないかと飛行技術の研究をしていたほどです。

その佐久間象山や吉田松陰を突き動かしていたのが、王陽明が開祖の陽明学です。王陽明については、総裁の著書『王陽明 自己革命への道』に詳しいので、ぜひ読んでください。


ということで、ここで一首

   いにしえの 大儒の悟り まねびては
           われも望まん 龍場の月
 

と詩ってみました。


 意味するところは、「私は、五百年前の明代の中国に生まれ、儒教と仏教や道教をも合わせたような陽明学を開いた、巨大な儒者である王陽明先生の悟りを学び、私自身も、王陽明先生の龍場の大悟のごとき、満月のような本来の自己を発見してみたい。悟ってみたい。」と言う程度のことです。

 さて、王陽明の転生をトレースしてみます。日本神道の草創期の神である国之常立之神文殊菩薩(2200年前?南インド)、天台智顗(538-597年 中国)、夢窓疎石(1275-1351 日本)、王陽明(1472-1529 中国)、木戸孝允(1833-1877 日本)、大川真輝さん(現代日本)ということになります。その出自は、宇宙人リーディングでは、ベガの神官だったと言われています。

 ということは、王陽明先生は、私の勝手に思っているお師匠さんその人ではないですか! ここでハッとしたのですが、日本の国造りのために、王陽明の魂は、仏教をインド、中国、日本へと伝えるとともに、さらに孔子の儒教をアジアの近代化の思想として変革し、日本に導入する仕事をしておられることです。

 王陽明の説いた陽明学は、儒教の流れのなかでは仏教的側面を持っているので、異端的に言われることもあるのですが、朱子学によって訓詁学となってしまった儒教を、アジアの近代化のための思想として、心の教えと実用の学として改革したものであったのです。

 王陽明の霊言のなかでも、陽明学は、キリスト教のカトリックに対するプロテスタントの位置づけにあると語られていますが、まさにウイクリフやフスを動かし、ルターのプロテスタントを生み出した改革思想の東洋版だったのです。

 その陽明学は、八十年後の日本で、近江聖人と慕われた中江藤樹(1608-1648 日本)に受け継がれ、明治維新の思想的バックボーンとなっています。

中江藤樹は、はじめ朱子学を学びますが、段々と陽明学の影響を受け、日本の陽明学の開祖と言われるようになります。

 その弟子に、熊沢蕃山(なんと今の幸福実現党党首、矢内筆勝の過去世)が出て、陽明学を日本全国に広げ、その後、江戸昌平黌の儒官となった佐藤一斎(1772-1859)やその門下であった佐久間象山や横井小楠、吉田松陰、勝海舟などに受け継がれていくのです。

 私自身は、江戸時代に、明治維新の原動力となった思想のもう一つの柱に、頼山陽(1781-1832)の書いた「日本外史」があると思っています。

中江藤樹が開いた陽明学の行動論と、欧米の植民地政策を前にして、日本人に誇りと尊厳を持たせ頼山陽の「日本外史」の二つの思想的潮流が、明治維新を成功させた原動力になったのではないかと思うのです。

 ここまで書いてきて感じるのは、中江藤樹の魂の本体が天御中主神であることから、王陽明の魂の本体である国之常立之神の日本草創の二柱の神が連携して、陽明学の革命思想を日本に導入し、明治維新を起こしたのではないかと思えてならないのです。

なぜなら、天御中主神は明治維新の精神的象徴となった明治天皇として出ておられ、国之常立之神は維新の三傑の一人、木戸孝允として出ている事実があるからです。


(以上)  
Posted by ゆかりん(近藤由香里) at 12:36Comments(0)伊藤真道館長・講話

2013年02月23日

【伊藤館長ブログ】ウィクリフとフス~佐久間象山と吉田松陰

心に花を咲かせよう 2013/2/10(日)


http://www.seichi-shikoku-irh.jp/blog/?p=216


〈65〉 時空を超えた革命への連係プレー、ウィクリフとフス。そして佐久間象山と吉田松陰


 2月7日は、七の日参拝の説法をすっぽかし(?)、総裁補佐の出生地ということもあって、脇町支部精舎の竣工式に参加しておりました。これで、総裁先生の「晩年成功法」の御法話があった1月27日と2回続けて七の日法話をしなかったので、次回がんばります。

さて、いま全国の精舎では、「フスの霊言」を開示しています。私自身、ヤン・フスという人の名前は、昔、先生の御説法のなかで聴いたぐらいの記憶しかなく、吉田松陰の過去世のお一人というぐらいの情報しか持っていませんでした。

また、ルター以前のヨーロッパの宗教改革に関する知識もなく、まったくの未知の領域でした。そこで、これではいけないと、「フスの霊言」のなかで、総裁先生が持っておられた本で、『プラハの異端者たち』を取り寄せ、さっそく読んでみました。

霊言の中では、フスの転生が吉田松陰であることが確認されるとともに、フスに思想的影響を与えたオックスフォード大学の神学者、ウィクリフが佐久間象山として、幕末の日本に転生していることが明かされていました。

ここで私は、「むむっ!」と反応してしまったのです。以前のブログで書いたことがあるのですが、佐久間象山の過去世の一人が、平安末期から鎌倉時代に活躍した後白河上皇だったからです。後白河上皇は1192年に帰天していますから、その138年後の1330年に、ウィクリフとして中世のイングランドに転生しているのです。

後白河上皇の時に、吉田松陰の魂の兄弟と関係があったかどうかは、まだ霊言では出ていませんし、吉田松陰が平安末期に転生しているかどうか分からないので、何とも言えませんが、ウィクリフは、フスの思想的火付け役をしていますし、佐久間象山も、その門下生であった吉田松陰の火付け役をしているのです。

この二人の魂は、ウィクリフ(佐久間象山)の魂が先に出て、革命思想を打ち出し、その思想をもとにして、フス(吉田松陰)の魂が行動を起こすという、革命の連係プレーをしているのです。今世においても、このお二人は、同じような位置関係で転生されて
いるらしいということが、佐久間象山の霊言のなかでもちらっと伝わってきます。

 そして二人とも、どちらの時代にも弾圧を受け、異端者(ウィクリフは教会制度に反対して異端者となり、フスは、同じく異端者として火炙りになっている。また、佐久間象山は、吉田松陰をそそのかしたとして連座し、蟄居を命じられている。吉田松陰は言
うまでもない)となっているのです。

 このように、教会制度の変革と幕藩体制の変革という内容は違えども、体制が古くなり、神の御心に適わなくなってきている時代に、地上に転生してきて、その体制を変革する仕事の原動力になっているのです。ちなみに、後白河上皇は、平安時代の貴族政治の幕を引き、武士の時代をつくる使命を帯びて、転生していると推測される。

 そして、このウィクリフとフスの教会の変革運動は、ルターの宗教改革の先触れとなり、中世ヨーロッパを大きく揺さぶっています。

この改革の立案者として、天上界のイエス・キリストの存在があります。バチカンを中心としたローマカソリックの教会体制は、イエスの考えとは違った方向に行ってしまい、魂の救済から離れ、堕落していっている現実に対し、イエスの命を受けた多くの光の天使たちによって興った運動だったのです。

日本の明治維新の場合、これに陽明学をオーバーラップさせると、もっと鮮明に浮き上がってきます。それは、佐久間象山以前に、思想としては、王陽明のアジア世界の変革思想としての陽明学の流れが、中江藤樹によって江戸初期の日本にもたらされ、幕末から明治維新を見越した思想的胎動が始まっていたことも見えてきています。

明治維新の実現に向けた天上界の設計図の壮大な姿が、かなり見えてきて、霊言シリーズ恐るべしですね。ということで、陽明学については、まだ勉強不足なので後にするとします。


(次回に続く)
  
Posted by ゆかりん(近藤由香里) at 18:02Comments(0)伊藤真道館長・講話