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ゆかりん(近藤由香里)
ゆかりん(近藤由香里)
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本名:近藤由香里=【雅号:皇 悠理】
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2011年05月07日

旧約の神の実像に迫る(ヘラトリ22 1‐2 転載)

エローヒムとは何か(序論)』 (第22号・その1-2)


(本稿は、2011年4月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。)



今日は、大きめのタイトルをつけました。今回は久し振りに「英語版ヘラトリ」も出そうと思っていますので、ご期待ください。

先般の「全世界伝道交流会(支部長交流会)」にて、国際局長から、「2016年までに、NYのヤンキー・スタジアムで大講演会を行う」と発表がありました。
今日の内容は、そのあたりもにらんだ内容になります。

今日は、英語・日本語対照(バイリンガル)の聖書も持ってきました。今後、先生の御説法の中で、聖書からの引用は、益々増えていくと思います。皆さんも少し知っておいた方がよろしいかと思います。
今日はそういう意味で、本日のテーマに沿った聖書の話の中でも、特に、学んでおくに相応しい箇所を選んで、お話させていただこうと思います。
「聖書」や「エローヒム」について、ご教示があった内容であっても、これまで、「日本語や英語の聖書と照らし合わせて読んでも、よくわからなかった」と感じられることが多かったかもしれません。
その理由は、「さらに遡って、ギリシャ語からヘブライ語(ユダヤ人の言語)へと、原典からの翻訳の経緯をたどらないと、言葉の大海の中に意味合い(文脈)が埋もれてしまって、ちんぷんかんぷんになる」ということが起きているからです。
これは、欧米人でも、一部の専門家を除いて、知らない人が大半です。

その意味で、こういう形での「聖書解説」は、日本中どこを探してもないと思います。
(「どこを探しても」という意味は、単に、「翻訳上の問題」を指摘するだけではなく、「教えの中身」の観点を重ね合わせて、旧約聖書の「神の言葉」を分類した研究は、(主のご説法を除けば)無いはずだ」ということです。)



「エローヒム」は固有名詞だった


このテーマを取り上げるに至ったきっかけは、「御法話『アルファの法』の中で明かされた真実が、当会の霊的な事実として新鮮であっただけでなく、キリスト教世界の中では、"ドキっとするような驚愕の真実"を意味したはずだ」ということによります。

大川総裁(主の本体の部分)の過去世の名前が、「1億5千年前の"エローヒム"だった」とありましたね。これは、「聖書の世界」を根底からひっくり返す可能性を秘めた「事実」です。

日本語の『聖書』を開くと、当然ながら、「神」という言葉が沢山出てきます。英語版では"God"にあたります。その一つ前のギリシャ語聖書でも、それに相当する「神」なる言葉が出てきます。
問題は、ヘブライ語の原典の旧約聖書には、その翻訳する前の元なる「神」のことが、「エローヒム」と書いてあるのです。
これまで多くの聖書学者は、「エローヒムとは、一般的な「神」を意味する「普通名詞」であって、特定の神の名を表した「固有名詞」ではない」と、一生懸命主張してきました。

というのは、エローヒムや、(その単数形の)「エル」は、ユダヤ民族が戦ったり征服してきた他民族をも指導してきた、普遍的な神だとみなされていたからです。
「普遍的な神様が、民族を超えて、少なくともユダヤ民族を含めた中東全域を指導していた」ということは、ユダヤ教では認めていません。
一方、考古学や神話学(宗教学)の方では、「エローヒムとは、どう見ても、特定の個性を持った「固有名詞」だったのではないか」
ということを認めている学者が、結構います。

たとえば、前回少し触れましたが、ジョージ・ルーカスが映画「スターウォーズ」の脚本を書いた際に影響を与えたと言われている神話学者(宗教学者)に、ジョセフ・キャンベルという人がいますが、この人は、「エローヒムは、特定の名前を持った固有名詞だ」という立場を明確に取っています。
ユダヤ教の神学の中でも、そういう立場を取っている人がいるのです。

ユダヤ系フランス人で、インマニュエル・レビナンスという哲学者兼ユダヤ学者がいますが、この人も、「そもそも、"エローヒム"を始めとして、ヘブライ語における神の名前というのは、「固有名詞」として捉えないと、意味がないのだ。なぜなら、ユダヤの言葉というのは、そうなっているからだ」とはっきり言っています。
(ちなみに、今回、レビナンスを引用するのに、「マイナーではないか」ということで、少し躊躇(ちゅうちょ)があったのですが、グーグルで"インマニュエル"を検索したら、上から4番目に出てきましたので、結構メジャーだということは知っておいてください。哲学の方では、それなりに有名です。)

凝り固まった、教会系の神学者でないところでは、結構、筋のとおった議論なのです。

つまり、「"エローヒム"とは、普通名詞の側面もあるけれども、そもそも、そういう名前を持った特定の神が存在していた。そして、その後もその神様は、ユダヤ民族を含めて天上界から指導をしてきて、現在も存在している。そして、現在の名前をエル・カンターレ"という」
というのが、我々の立場です。そして、この考え方というのは、「神学上、考古学上も、一定の筋がとおっている」ということを申し上げているのです。

『旧約聖書』に出てくる「神」という言葉は、元々、ヘブライ語では、「エローヒム」と書かれています。これが、現在も存在する「固有名詞」の神様だとしたら、本来、「神」という言葉は、「エローヒム」と訳さないといけないでしょう。(現に、そう主張する学者もいます。)
そして、『旧約聖書』の「神」を「エローヒム」に置き換えて読むと、実に驚くべきことを発見します。



(その2)


創世記第一章は、エローヒムの書


(以下の論考は、当然のことながら、旧約聖書学でいう「エローヒム文献」(エロヒスト)、「ヤーウェ文献」(ヤーウィスト)の議論を踏まえている。但し、それらの文献学の通説と、細部において解釈が違うのは、ハッピーサイエンスの霊査による解釈を加えているからである。
講話の中では、各論すぎるので、その点に触れなかったが、レジメ上は、学問上の議論にも耐えられるように、この点を付記しておきたい。)

聖書の冒頭、「創世記」の一番最初の文章を思い出してみてください。
「In the beginning(原初に),God created the heavens and the earth.(神は天と地を創造し給うた」、この「God(神)」は、ヘブライ語の聖書では、「エローヒム」と書いてあります。ですから、「神」と訳さずに、「エローヒムは、天と地を創造し給うた」と訳すべきだと主張する学者もいます。
そうすると、俄然、ハッピーサイエンス的な意味での迫力が変わってきますね。そして、その「エローヒム」が、現代に「エル・カンターレ」として生まれ変わっているのです。海外伝道は、この一行で終わってしまうことになります。

そのあと、神(エローヒム)は、7日間でいろいろなものを創造されたのですが、まず、神、つまりエローヒムは、「光あれ」とおっしゃった。すると、「光が現れた。」
「地に植物を芽生えさせよ」と、エローヒムが仰ると、「そのようになった。」
「次にエローヒムは、二つの大きな光るものを創られた。大きいほうの光るもの(太陽)には昼をつかさどらせ、小さいほうの光るもの(月)には、夜をつかさどらせた。また星々を創られた」とあります。

これらの文章の主語がエローヒム、つまり、エル・カンターレであると解すると、「大宇宙の創造主」としての真実味を帯びてきます。
更にエローヒムは、動物を創造された後に、「いよいよ、人間を創造しよう。我々の姿に似せて」とおっしゃいます。
(ここで「我々」と言っているのは、「エローヒム」が複数形であることに対応しています。エローヒムが「神」であると同時に「神々」(指導霊団)であることが、この一点からも明らかで、「一神教」からは説明のつかない事態なのですが、ユダヤ・キリスト教の神学は、この点について、思考停止に陥っています。こういう事例は、聖書の到る所に、山のように出てきます。)

そして、「エローヒムのかたちに人間を創造し、男と女を創造した」と。
(以上は、創世記第一章であるが、ちなみに、同第二章の中で、「男(アダム)の"あばら骨"から女(イブ)を創った」と主張している「神」は、エローヒムではない。結論から言うと、後述するように、それが、ヤーウェである。)
そして、「エローヒムは、彼ら人間を祝福し、「生めよ、増えよ、地を満たせ」と仰った」とあります。
この表現、『太陽の法』の「人類創造」のくだりのタッチとよく似ていませんか。ヘブライ語までさかのぼって見ると、実はそうなっているのがよくわかります。



エローヒムがモーセに語りかけた部分


その次の「出エジプト記」も重要です。ヘブライ語までさかのぼると、「出エジプト記」のどの部分が、「エローヒムがモーセに語りかけた部分」か、わかります。
ここで引用するのは、モーセがミデアンの地で、父祖の神と出会う瞬間です。

出エジプト記の第3章を見ると、
「エローヒムは、柴の中からモーセを呼び止めて、エローヒムは、「モーセよ、モーセよ」と仰った。モーセは、「はい、ここにおります」と答えた」とあります。
「その時に、エローヒムは仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたは靴を脱ぎなさい。あなたの立っている地は、聖なる地である」、「私(エローヒム)は、あなた方の父祖の神、アブラハムの神であるエローヒムであり、イサクの神であるエローヒムであり、ヤコブの神であるエローヒムである」と、語源までさかのぼれば、正確にはそう訳されるべき箇所が出てきます。

それに対してモーセは、「エローヒムを仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した」とあります。エローヒムは続けて、「私があなたを、イスラエルの民のところに遣わす」と言います。するとモーセは、「彼らに「あなた方の父祖の神が、私をあなた方の下に遣わした」と言えば、彼らは、「その神の名は何ですか」と尋ねるでしょう。私は、何と答えたらいいのでしょうか」と聞き返します。

ここからが有名なくだりです。
「God said to Moses. "I am Who I am".」―このGodは、エローヒムと置き換えてください。「私は"在りて在るもの"である」と。「このようにイスラエルの民に答えなさい」とモーセに言ったのです。
この部分は、英語版の種類によって、"I am That I am" だったり、"I will be what I will be" だったりします。

これの意味を、ハワイでのご説法『Be Positive』の中で、「I am the origin of love.(私は愛の根源である)」と仰っています。言葉を換えれば、「世に存在しているものは、全て私から生まれたのである」と仰っていました。
"I am Who I am"の解釈は、いろいろ出ていますが、私の知る中でも、この『Be Positive』の解釈が、一番わかりやすい説明でした。

いずれにせよ、ここが、今の西洋文明の一つの出発点なのです。


(「その3」に続く)



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Posted by ゆかりん(近藤由香里) at 16:10│Comments(0)ヘラトリ(転載)・小林早賢氏講話
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